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2010年 01月 07日
ボルヘスの魅力の源泉をドン・キホーテに発見、と先月は仰々しく書いてしまったけど、なにか難しい概念的なことを言ってるんじゃなくて、実はもっと単純なことだ。ずっと前に読んで忘れてたドン・キホーテの筋を思い出した、という意味に近くて、要は『ドン・キホーテ』の作中人物が同時に『ドン・キホーテ』の読者でもあるということ。こう言うとまた難しく聞こえるけど、『ドン・キホーテ』は正篇と続篇があり、続篇では主人公たちが正篇を読んだことになっていて、書かれてることについてあれこれ話したりするのだ。
これをボルヘスは「作品の逆流構造」と呼び、同じような構造をハムレットの劇中劇にも見いだす。そして「物語の作中人物たちが読者や観客になることができるのなら、彼らの観客であり読者であるわれわれが虚構の存在であることもあり得ないことではない」ため、「われわれを不安にする」と言う。 博覧強記のボルヘスに厳かな口調で説かれると確かにそうだという気がするし、実際ボルヘス自身がこういった逆流構造を迷宮のように複雑化し、虚構と現実の境目をアヤフヤにして、読み手を不安にさせるのが大得意だ。でも私にとって、ドン・キホーテのそれは「不安」というよりむしろ「驚き」をもたらす、びっくり箱のような愉快な仕掛けでもあった。 こういう仕掛けは児童文学にもある。エンデの『はてしない物語』でも鍵となるのは逆流構造で、物語の主人公が作中物語に夢中になるうちに作中物語の世界に飛び込んでしまう。その場面のドキドキを体験する読者は、今度は自分がエンデの世界に飛び込んでしまいそうな興奮を味わう。 今、息子が寝る前に読んであげている佐藤さとるのコロボックルシリーズの本もそうだ。昨日は第5巻に入って2日目だったんだけど、この5巻の主人公である若い図書館員の女性は、本棚でコロボックルシリーズの1〜4巻までを見つけ、一気に読んでしまう。そして「コロボックル(小人のこと)なんているわけないのに、本当みたいに書いてある」という感想をもつ。息子の反応が面白く、「本なんだから本当じゃないよ!正子はバカだなあ」と1〜4巻を「本当じゃない」としながらも、それを自分と同じように読んでいる5巻主人公の正子は実在の人物だと思っている。 この前、息子と一緒にイトーヨーカドーの仮面ライダーダブルショーを見に行ったが、ライダーが「僕たちのテレビ見てるかい?シンケンジャーよりカッコいいだろ?」と観客に語りかけると、子供達は熱狂し爆笑する。テレビの登場人物が観客の子供達と同じ目線で番組を客観化し、笑いをとっているのだ。主観と客観が交差し、現実と虚構が入り交じるという「仕掛け」は、不安をともないつつも、子供ものめりこんでしまうような不思議な魅力があるっていうことなんだろう。
by jukali_k2
| 2010-01-07 00:58
| 本
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