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2010年 08月 01日
この夏も山の家に来ています。 今年も山の小さな教会で、8月第1日曜日の今日、礼拝説教を夫が、奏楽を私がしてきました。夫は喋るのが仕事とはいえ牧師ではなく、私も全く音楽と関係ない仕事をしてるわけで、夫婦ともに素人、教会風に言えば平信徒です。ちなみに牧師を先生と呼ぶのはともかく、信徒に「平」までつけちゃう日本のキリスト教界。それはともかく、一介の「平」である私達にこのような機会を与えてくれる山の教会の皆様には本当に感謝してます。オルガン、好きなんだよね。 とはいえ、好きなだけではどうにもならないので、礼拝前の3日間はみっちり練習しました。歩いて山を5分程下って教会に行き、1時間半弾き続けるともうグッタリ。足踏みオルガンを力強く踏み続け、ももはパンパン膝はガクガク、帰りの上り坂のキツいこと。でもそのかいあって奏楽はなんとか形になってきました。 さて本番の今日。前奏と後奏は明るいト長調の曲を選びました。渋めの短調もいいんだけど、聴かせる演奏をするには経験と腕が足りません。礼拝後、元気になれる曲をありがとうと喜ばれホッとしました。 …が、なんと私、信じがたい大失敗を。讃美歌の1つで最後のアーメンの部分になり、どうも空気が妙な気がして説教台の方を見ると、夫が手を下の方で私に向けて必死に動かしてる。指を4本立てて、なんかサインを送ってるみたい…ん?4?…あ、この曲4番まであるんだ!あろうことか2番まで弾いたところで3、4番をすっ飛ばし、いきなりアーメンにしちゃったという。あちゃーと思ったけど、さすがベテラン信者揃いの教会、私のアーメン伴奏を無視して皆さん平然と歌い続けてるんですよね。スゴい。なので私も何食わぬ顔で3番に戻りました。 本当にすみませんでしたと謝る私に「年配者ばかりの静かな教会だからハプニングがあった方が楽しくていいわ」とおおらかに言って頂き、この教会で来年も弾きたいなと心から思いました。もう頼まれなかったりして。ハハハ。 #
by jukali_k2
| 2010-08-01 22:16
2010年 06月 20日
出かける用事があり息子を小学校正門前まで迎えに行った。息子の足でブラリブラリと呑気に下校では間に合わないので、自転車二人乗りでダッシュするため。
4年生くらいの男の子が正門から飛び出してきた。それを若い女性の先生が追いかけてくる。 「ねー、まだその水色の靴のこと気にしてるの?」 先生の問いかけに、男の子はうつむき、水色のスニーカーで地面を2度3度と蹴る。口をキッと一文字に結んだまま。 「水色は女の子の色って言われたのが、そんなにイヤ?」 しばらく黙っていた男の子が、ようやく絞り出すように答える。 「・・・あいつら青い靴はいてんじゃん。水色と変わんないじゃん。」 「あのね、先生は水色が女の子の色だなんて思わないけど・・・」 けど?「けど」なんなんだろう、と私は思う。 「靴が変だって言われても気にしないって思える強さがあるならいいけど、そうじゃないならお母さんに頼んで、違う色の新しい靴を買ってもらったらいいじゃない。自分に強さがないなら、そうやって自衛手段をとるしかないんじゃない?お母さんだって分かってくれるよ。」 耳を疑った。ほとんど体が震えだすくらいに怒りがこみあげてきた。 その後も同じようなやり取りを続けながら、先生はついに一度も「靴が変だって言う方が間違ってるんだよ」と言わなかった。「その水色の靴でいいんだよ」って言ってあげなかった。理不尽なことを言われ傷ついた子どもに、堪えろ、それが出来なければ諦めろ、と教えた。優しい声で。男の子のことを心から思っているというような優しい声で。いや、本当に思っていたんだろう。 何も言わずに男の子は帰っていった。先生は一瞬後ろ姿を見送り、小走りに校舎に戻っていった。 入れ違いに昇降口から出てきた息子が私を見つけて手を振っているのが見えた。 #
by jukali_k2
| 2010-06-20 00:41
| 家族
2010年 05月 16日
もう記憶が曖昧。期間が長い割にそれほど読めなかったな。とにかく網羅しとこう。
須賀敦子須賀敦子全集〈第5巻〉イタリアの詩人たち、ウンベルト・サバ詩集ほか』 (河出文庫) ★★★★★ サバが特にいい。何度も読み返し、ついにイタリア語の原書も注文。固有名詞以外ほとんど分からないけど、エイナウディ社というだけで満足。 アントニオ・タブッキ『遠い水平線』 (白水Uブックス) ★★★★ 須賀敦子訳だと、原作がいいのか訳がいいのかよく分からなくなるが、とにかく良かった。 アガサ・クリスティー『五匹の子豚 』(ハヤカワ文庫) ★★★ 何年ぶりかのミステリー。 アンジェイ・ムラルチク『カティンの森』(集英社文庫) ★★ 映画の脚本は、小説のようには読めなくて当然かもしれないけど、文章としての洗練がなく、読むのは少しきつい。でもカティンでの虐殺事件以降の残された家族の苦しみや、真相を隠蔽するためのさらなる犠牲者の存在を丁寧に追っていて、知れて良かったと思う。そして偶然にも読んでる途中にポーランド大統領機のあの事故!驚いた。 佐藤さとる『りゅうのたまご』(偕成社文庫) ★★★★★ 小学生のころ読み終えた瞬間の高揚感をそっくりそのまま思い出した。大人になって読み返しても、最後の一文にやはり目頭が熱くなる。どうしてそこまで思い入れが強くなるのか、今もよく分からない。 黒田あづさ『バングラデシュで玉の輿1〜3』(中公文庫) ★★★ 何年ぶりかの漫画。面白かった。 イタロ・カルヴィーノ『イタリア民話集 上』(岩波文庫) ★★★★★ 懐の深い世界観と意表をつくストーリー展開。そして軽妙なイタロ節。最高。 トニ・モリスン『青い眼がほしい』(ハヤカワ文庫) ★★★★ 衝撃。 トニ・モリスン『子どもたちに自由を!』(みすず書房) ★★★★ 絵本。しかしすごい切り口。 吉田ルイ子『ハーレムの熱い日々』(講談社文庫) ★★★★★ 60年代をニューヨークのハーレムで暮らしたフォトジャーナリストの記録。熱い。ブラックパンサーが勢いを増すにつれハーレム住民の意識が劇的に変化していく様子など、ぐんぐん引き込まれた。そしてジャズミュージシャンとのエピソードにとにかくビックリ!ウェイン・ショーターの家に呼ばれ・・・とか、ハービーー・ハンコックに会った時に聞いたら・・・とか。通勤中に読んでて3駅くらい乗り越した。 読みかけ本 イタロ・カルヴィーノ『水に流して』(朝日新聞社) 田中康博『風景の裂け目 沖縄占領の今』(せりか書房) 断念本 ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』(集英社文庫) また途中で放棄しちゃった。これで2度目。3度目の正直はいつになることやら。 #
by jukali_k2
| 2010-05-16 00:15
| 本
2010年 05月 15日
「ぼく、ウソなんかついてないのに、先生が、そんなウソつくんじゃありません、ってぼくのこと怒って・・・」
昨日の夕方、突然息子が泣き出した。最後の方は声も出ず、肩をふるわせて。 ペットボトルを学校に持っていく、という息子に「家にはないよ、先生にそう言って」と言ったのは私で、それを息子はその通り伝えたら、ウソだと言われたらしい。 私にしがみつき泣きじゃくる息子は、いつもよりずっと小さく見えて痛ましい。「先生は勘違いしてるのかな、ママがちゃんと確認するからね」という私の言葉も耳に入らないようだった。 それだけを聞けば、先生の配慮のなさを責めるべきだろう。でも事情が分かってみれば先生の気持ちも分からなくもない。むしろ一番悪かったのは私で、「アサガオの水やりに使うのでペットボトルを持ってきて下さい」と既に学校から配布されていたプリントに書いてあったのを、私が見落としていたのだ。 さらに状況を複雑にしたのは夫で、ペットボトルがない、という話をしているのを横で聞いていた彼は、「うちにはペットもいるしボトルもあるけどペットボトルはありません、って言いなよ」と例のごとくチャチャを入れ、それも息子はその通り伝えてしまったのだ。ふざけて誤摩化そうとしていると思われたのだろう。 要するに、母親の注意力不足と、父親のやや過剰な茶目っ気が、小さな心を傷つける結果を招いてしまった。息子には本当に本当にすまないと思う。 でもやはり釈然としない。 「ゆとり教育」以来の土曜休校は変わらないまま、授業内容だけを詰め込み直した今の学校のスケジュールは、先生たちにとっても過酷だ。時間割はキツキツで先生同士の会議や打ち合わせも時間が取れず、行事の前後にもゆとりがない。ただでさえ過労でクタクタな先生が、集団生活に慣れない一年生を毎日相手にして、一人一人にゆっくり時間を割くのも難しいのかもしれない。 おそらく息子は生意気な口調でもあっただろう。ふざけた態度でもあっただろう。忘れ物をしても反省する様子なんてなかっただろう。先生も思わずムカっときたのだろう。 そうだとしても、それはウソだ、とは言ってほしくなかった。 せめて夫経由のジョーク(?)くらい、ウケてくれる必要は全然ないけど、見逃してくれる余裕が欲しかったな。 #
by jukali_k2
| 2010-05-15 01:25
| 家族
2010年 03月 07日
めずらしく小説が1冊だけの2月は、須賀敦子月間となった感あり。
ジョージ・オーウェル『ウィガン波止場への道 』 (ちくま学芸文庫) イングランド北部の炭坑町ウィガンでの、最底辺の労働者の暮らしぶりを、これでもかこれでもかと書き綴るルポルタージュ。オーウェル自身が炭坑に入り、炭坑夫と暮らしつつ、自身の健康や命さえも犠牲にしかねない炭坑での労働について語るのは、確かに説得力がある。が、なによりそこで暮らす人びとの家の汚さと悪臭、食事の酷さについての執拗な記述ぶりに圧倒される。過酷な労働に見合う賃金が得られないという炭坑夫の「労働者」としての側面だけでなく、炭坑夫とその家族の「生活者」としての側面が重視されている。中産階級の人びとが考える人間らしい暮らしからはほど遠い炭坑での日常を見る目は、オーウェル自身も含めた中産階級の人びとの偏見や無知を見通す目でもある。 ・・・というのが前半で、実は後半部分はまだ読んでない。オーウェルの考える社会主義思想の表明であり、当時の「左翼」批判でもある後半は、どうも難解でハードルが高いので、後日にまわすことに。 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』 (河出文庫) ナタリア・ギンズブルグ、イタロ・カルヴィーノの翻訳での端正な日本語表現が好きで、巷でなにかと評判が良い須賀敦子をついに手に取ってみた。 1960年頃のイタリアで、カトリック左派と呼ばれる知識人たちのサロン的役割を果たした書店での思い出をつづる「コルシア書店の仲間たち」が素晴らしい。若き日の追憶は感傷に流されがちだし、しかもこんなに特殊な経験をしているのだから、書こうと思えばどこまでも情感たっぷりの泣ける話に持っていけただろう。60代に入ってから翻訳以外の執筆活動を始めたのは、抑制のきいた美しい言葉で当時を振り返れるようになるのに、それだけの年月が必要だったのかもしれない。 「若い日に思い描いたコルシア・デイ・セルヴィ書店を徐々に失うことによって、私たちは少しずつ、孤独が、かつて私たちを恐れさせたような荒野でないことを知ったように思う。」 私もそんなふうに年を重ねたいものだ。 アントニオ・タブッキ『供述によるとペレイラは…』 (白水Uブックス) これも須賀敦子訳。タブッキといえば『インド夜想曲』についてまわる「幻想」や「瞑想」という言葉のイメージで、なんとなーく敬遠していた。(あれ、ボルヘス好きのはずじゃん、私。)初タブッキとなる本書は、しかし路線がちょっと違う。1938年、ファシズム独裁政権下のポルトガルを舞台としているが、念頭にあるのはこの小説が書かれた1994年当時のベルルスコーニ政権下のイタリアの、現在進行形の政治状況だ。同じく幻想的な作風で知られるカルヴィーノの中でも私が一番好きなのは『くもの巣の小道』で、この『ペレイラ』も同じような位置づけかなと思う。 重く暗い結末になぜか一種の清々しさを感じるのは、どうにもならない状況の中でより良く生きるための、一つの力強い例を示してくれるからだろう。そして、主人公が太ってて汗かきでさえない中年男であることが、不思議に好ましい。 須賀敦子『霧のむこうに住みたい』 (河出書房) 今月の須賀敦子3冊目となるこの本は、とっても残念なことに、どうにもこうにも面白くない。きっと彼女は、ぎっしりと中身の濃いものを、選びに選んだ言葉でさらりと表現するのが得意なんだと思う。ヨーロッパでの生活はこんな感じでした的な、あまり中身のないエッセイ(すみません)を彼女が書くと、単に文章の「さっぱり感」だけが目について、本当に中身がなく(すみません)感じてしまう。 須賀敦子の翻訳が素晴らしいのは、原作の中身の濃さを感じ取る鋭い嗅覚と、それを日本語に移し替える卓越したセンスが彼女にあるからだし、「コルシア書店の仲間たち」が素晴らしいのは、その題材となる経験があまりにも濃いからなんだろう。文章がうまいだけじゃダメで、やっぱり何を書くかなんだな、と当たり前の結論に至ったりする。うーん。 エリック・ホッファー『魂の錬金術―エリック・ホッファー全アフォリズム集』 (作品社) 本を読みながら「お!」と思ったページの角を折るクセがある。だけどこれはアフォリズム集なわけで、つまり全ページ「お!」と思わせるような文しかないわけで、すぐに頭が飽和というか不感症状態になってしまい、あっという間に読み終わってしまった。 と言いつつ、中でも選りすぐりの「お!」もあるにはある。 「他人を非難するとき、実は自分を許そうとしていることがある。自己正当化の必要性が大きいほど、われわれは偽善的になる。」 「純粋無私にひそむ汚点は、それが冷酷無情さを正当化する唯一の理由であるということである。」 「本当は欲しくないものを与えられずに感情を害することが、何と多いことか!」 最後のが一番グサッときた。 #
by jukali_k2
| 2010-03-07 00:45
| 本
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