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2009年 11月 05日
多和田葉子『エクソフォニー-母語の外へ出る旅-』(岩波書店)
母語ではない言語で書くことの文学性を積極的に見る視点は面白い。そもそも書き手の意識と文章表現の間には必ずズレが生じるわけで、それが母語ではない言語の使用で増幅され、新たな可能性が生まれるというのは分かる気がする。ズレ、違和感、もどかしさの中にこそ、表現したい本質が浮かび上がる場合もあるだろう。フランスの旧植民地セネガルでフランス語で書く、ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人が英語で書く、ドイツのトルコ系移民がドイツ語で書くなど様々なケースが出てきて興味深い・・・んだけど、そのケースそれぞれに対する繊細な視点とは別人のように、著者自身のことになると「ヨーロッパ、アメリカ、アジア各地を自由に飛び回るコスモポリタ〜ン」みたいな無邪気(?)な筆致になってしまうのは何故だろう。それこそ「違和感」を拭えないまま読み終えた。 サマセット・モーム『読書案内ー世界文学』(岩波書店) この手の名著案内的な本が結構好きで。「読書は楽しみのため」と言い切り、そのためには(楽しさが損なわれないためには)つまらない部分の斜め読み、飛ばし読みも奨励するところが可笑しい。それこそ「飛ばし読み」した同じくモームの『世界の十大小説』も面白かった。 トマス・ピンチョン『競売ナンバー49の叫び』(筑摩書房) ついにピンチョン、きたよピンチョン。大体この名前がすごすぎる。読後のピンチョンショックは、ボルヘスの『トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス』を読んだときの、目に映る当たり前の光景の輪郭がグンニャリと頼りなく見えるような、膝に力がはいらなくてフラフラするような感じと似てる。虚実とりまぜた緻密で幻想的な世界に取り込まれ、頭を切り替え現実復帰するのに結構時間がかかった。行っちゃったきりがむしろ快感かもしれないけど。 それにしても、何らかの方法で社会変革を企ててる様々な社会的弱者のグループをつなぐ鍵が「私設郵便組織」という、この突飛な発想にグッときた。今月の目玉本。 #
by jukali_k2
| 2009-11-05 00:33
| 本
2009年 10月 22日
娘が学校で覚えたばかりの知識を嬉しげに披露してくれる。
「ミニマリズムの作家って知ってる?」 まったく分からん。ミニマリズムって音楽じゃなくて? 「レイモンド・カーヴァーだよ!」と、ホヤホヤの知識を総動員して授業で扱った短編のあらすじを事細かに説明する。フムフムと耳学問させてもらう。ママの知らないことを教えてくれる娘はやけに楽しそうで、なんか可愛い。 そもそも文学にミニマリズムってあるんだ。知らなかった。なんでもない言葉を使って簡潔で素っ気ない表現をするんだよ、という娘の説明で私が思いついたのはヘミングウェイだけど、じゃあその反対の作家は?と考える。マキシマリズムの作家とでも言うんだろうか。 例えば、過剰に多産な天才バルザック。約20年間の執筆活動で書き残した膨大な数の書物は合計2万ページ、語数にして800万から900万で、単に筆写しても同じくらいの年数を要するのではと言われているらしい。量的なことだけでなく、内容もこれまた過剰。暑苦しいほど存在感あふれる登場人物の強烈な情念が、あますところなく書きつくされる。壮大にして豊穣なバルザックの小説世界は、ミニマリズムの反対と言っていい気がする。 『トリストラム・シャンディ』のローレンス・スターンはどうだろう?本筋から外れた余計なこととしか思えない、話の脱線につぐ脱線が意図的に繰り返される。登場人物についての説明に登場する別の人物の説明をするうち、そこに登場するまた別の人物の説明になっちゃって、それがまたやたら長い。元の話が分からなくなる。これなんて、簡潔の対極を行ってるんじゃないか。 夫はドストエフスキーと言う。「だって母からきた便箋2枚の手紙が延々20ページくらい続くんだぜ。絶対2枚におさまんないって。」夫はいま読書会でマニアックに『罪と罰』を読んでいて、語り出すとどんどん熱くなるので、彼のドストエフスキー解説もまたミニマリズム的な表現とはほど遠い。 だけどちょっと調べたら、文学で「マキシマリズム」というと普通は70年代のミニマリズムに対抗して出てきたもっともっと新しいもんを指すらしい。けどよく分からない。誰か私の知らないことを嬉々として教えてくれないかな。 #
by jukali_k2
| 2009-10-22 01:43
| 本
2009年 10月 21日
土曜日の午後、職場主催のセミナーに出かけた。会場は後楽園駅から徒歩10分。興味深い内容でなかなか良いセミナーだったが、後で機関紙に載せる記事を書かないといけないので、相当気合い入れて集中し、ドーッと疲れてしまった。終了後は放心状態。
同じ日の同じ時間帯に、息子は後楽園駅目の前にある東京ドームシティに。私の両親とともに「侍戦隊シンケンジャーショー」を観劇(観戦?)していた。ショーが終わると、息子は両親に連れられてセミナー会場までやって来たが、彼もまたすっかり放心状態。「楽しかった?」と聞いても目はうつろ、足はフラフラ、顔は上気し頬がピンク色に。相当気合い入れて集中してきた模様。 両親にとっても強烈なショーだったようだ。開場30分前にはズラーっと並んだ親子連れは会場内へと案内され、始まるのを待つ間は「シンケンジャーグッズ」を抱えた売り子が観客席をくまなく歩き回る。ジジババである両親はここですっかり散財したらしい。スミマセン。 そしていよいよ始まるシンケンジャーショー。家にはテレビがないので、息子のシンケンジャー熱は、雑誌や絵本、友達から仕入れた知識、いくつか持っているシンケンジャーグッズなどに由来している。つまり息子は動くシンケンジャーを見るのは初めて。その刺激たるや凄まじかったらしい。両親が腰を抜かすほどの大音量とともに現れた敵の怪獣(?)は、観客席まで降りてきて目の前を走り回り、天井からぶら下がって飛び回り、「怖いよー!」と泣き出す小さな子も続出。戦うシンケンジャーもストーリーの都合上、中盤までは迫真の演技でやられっぱなし。まさにハラハラドキドキだ。両親によると、息子は最初から最後まで目を見開いたままフリーズしてて、お決まりのかけ声なんかも知らないため他の子達のように声を合わせることも出来ず、「怖くない?」と聞いた時だけ怒ったように「怖くない」と一言答え、あとは言葉もなかったらしい。 帰宅後、娘や夫に「楽しかった?」と聞かれても息子は「うん」と言うだけで一切感想が出なかったが、夜ベッドに入る頃になってようやくポツポツと話しだした。刺激が強くて消化するのに時間がかかったのだろう。 「ママ、シンケンジャーって弱いんだね。ほとんどずっとやられてたよ。」 圧倒的に強いのが好きなんだね・・・ 「でもさ、あの槍はどうも本当には刺さってなかったよ。剣は刺さってたけどね。」 いや、剣も刺さってないってば・・・ 「シンケンレッドはなんで入り口で子供と握手したがってたんだろう?」 あれはサービスなんだよ・・・ とまあ母子の微笑ましい会話が続いたわけですが、最後には「今日は楽しかった!」とニッコリ。翌日には、ジジババからせしめたシンケンジャーの携帯(?)やら剣(?)やらを装着し、エイ!ヤー!トー!とすっかりその気モードに。 ちなみにチケットは沖縄在住の友人が送ってくれたもので、私の仕事と日時も場所も重なったのはまったくの偶然。本当は私が連れて行くつもりだったけど、急遽両親にお願いした。一体どんなショーなのか興味津々行く気満々だったので、実は結構残念だったりする。 #
by jukali_k2
| 2009-10-21 01:18
| 家族
2009年 10月 07日
シェイクスピア『ヴェニスの商人』(岩波文庫)
脳内芝居にのめりこみ、読書中は役者になりきり頭の中で朗々とセリフを語り、表情を作り込んだりしているため、傍目にはたぶん不気味だと思う。主人公を初めとする善良な青年たちが薄っぺらに思えるほど、悪党シャイロックの肉厚な存在感に圧倒される。悪人の面白い話はいい。 カート・ヴォネガット『死よりも悪い運命』(ハヤカワ文庫) 「ユーモア作家」とも呼ばれるらしい著者は、第二次大戦中に一兵卒としてドレスデンの大空襲を体験し、母親は自殺し、最初の妻とは離婚し、息子は重度の神経衰弱を患い(その後回復し医者になった)、自身もアルコール中毒の果てに自殺未遂をはかっている。その彼が「死よりも悪い運命はない」と言い切る。死んだ方がマシとも思える悲惨な状況のどん底から、クルっとターンして生き抜くことを選ぶ。ヴォネガットのシニカルで辛辣な毒舌の中に、絶望とは別のものを感じるのは多分そのためだと思う。 オノレ・ド・バルザック『グランド・ブルテーシュ奇譚 』(光文社古典新訳文庫) まあまあの短編集ではあるが、ディテールを書きに書き込み人間像を膨らませるバルザックは、長編の方が登場人物が活き活きしてて圧倒的に面白い。第一この本、256ページ中の52ページ、つまり5分の1もの分量が解説とあとがきだなんてヒドすぎる。だったら、もう1つ短編入れてくれ。 チャールズ・ディケンズ『オリバー・ツイスト 』上・下(新潮文庫) こんな話だったのかと驚く。やけに善悪のキッパリハッキリした訓話的ストーリーの体裁をとりつつ、最終的に善人が報われるのはともかく、悪人の懲らしめられようが凄まじい。必死の逃亡劇は「善意」の一般大衆の見せ物と化し、興奮した市民たちの「捕まえろ!」「殺してしまえ!」の熱狂の中で御用となった悪党は、最後には街の一大イベント「公開処刑」で大観衆の見守るなか絶命する。ひえー。 また、救貧院の極端にグロテスクな描写は、「貧しいもの=劣ったもの」という当時の社会観念を見事に風刺している・・・とされてるけど、その観念とやらを現代社会が克服できてるのかと思うとまた恐ろしい。いやコワイ話だった。 ノーマ・フィールド『小林多喜二―21世紀にどう読むか』 (岩波新書) 多喜二さんへ、で始まる手紙調の出だしにはアチャーと思ったが、これはなかなかの良書だった。作品や、虐殺にいたる生涯のもつイメージからは意外にも思える、多喜二の朴訥で伸びやかな生真面目さや、それと抱き合わせのひょうきんな性格の描写が、著者が取材で出会った多喜二由縁の人々や、著者自身の多喜二への誠実な愛情を率直に伝えて清々しい。多喜二作品を時系列に読み解いていく、著者の視点もいい。特に、多喜二の女性の描き方と、その著者による考察が面白い。文学作品の解説には興ざめすることが多いが、多喜二は恥ずかしながら蟹工船すら読んでないから、逆に抵抗なかったのかも。 レオナルド・ボフ『アシジの貧者・解放の神学 』(エンデルレ書店) 上記の多喜二本でノーマ・フィールドが、「貧困の反対は富ではなく、正義である」との神学者レオナルド・ボフの言葉を紹介していて、すごく気になり読んでみた。 ちゃんとした該当箇所が分からなかったけど、こんなことが書いてある。 「このような貧しさの反対側に立つのが、正義です。ですから、貧しい人たちを選択するということは、少数の人間による富の蓄積とか、途方もない労働力を使う開発を当然とする社会制度とか、あるいは貧しさ、すなわち不公平に反対する上で、正義や平等を生み出す仕組みをつくり上げることのできる、重要な変革や社会正義の選択を意味するのです。」 目新しい言葉ではないかもしれない。でもこれが神学的解釈に基づいて出てくるところが凄い。南米やアフリカのカトリック神学者が中心となっている「解放の神学」は、「貧しい人を救う」という従来のキリスト教的発想を、貧者を下に見て上から引き上げるものとして否定し、貧しい人の中にこそ救いがあるとする。難解な細かい議論がまだよく分からないんだけど、このダイナミックな転換の発想にはドキドキするくらい興奮した。解放の神学、うーん面白い。また何か読んでみよう。 おおつきちひろ『タパス―みんなでつまむスペインの喜び 』(文化出版局) 罪作りなレシピ本。夜中の空腹時に美味しそうな写真の数々を見ていて、食べたくて食べたくて食べたくて・・・と思ってたら胃酸が分泌されたらしくお腹が痛くなった。最近胃酸過多で胃が荒れてて、先日は胃カメラをやったばかり。 連休中は豚肉牛肉鶏肉とシェリー酒で煮込みまくり、オリーブオイルとニンニクで幸せに過ごしたが、おかげで現在ダイエットの必要性を切に感じている。 #
by jukali_k2
| 2009-10-07 00:33
| 本
2009年 09月 08日
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