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2010年 02月 27日
息子が
「パルコとトルコ!」 と言うので、自由な連想が可笑しいなと思っていたら、今度は 「陰謀とレインボー!」 だって。 2月22日にめでたく6歳になりました。 4月から小学生です。 写真は息子へのプレゼント。 そのままだと陸の動物だけ、ライトをつけると海の動物も一緒に浮かび上がります。 #
by jukali_k2
| 2010-02-27 01:08
| 家族
2010年 02月 06日
読んだ本にすぐ感化される。洗脳されると言ってもいいかも。1月前半はすっかりボルヘス一色で、寝ても覚めても食事中も仕事中も、片思いしてる中学生みたいにボルヘスのことばっかり考えてた。1月後半には、そのボルヘスに勧められたホイットマンにあっさり心酔する。惚れっぽい私にクリティカルな読み方なんて無理無理。それにしても先月の読みかけ本のほとんどは、部屋の片隅に積み上げられたまま。
西成活裕『渋滞学』(新潮選書) 車間距離をとれば渋滞は緩和する、渋滞中は追い越し車線の方が遅くなるなど、結果の部分だけを聞いたとしても、感覚的に理解できなくはない。それを、渋滞をモデル化し、分析し、数値やグラフでキッチリ説明してくれるので、ホホーとお腹の底から納得できる。早速、混み混みの高速で実践してみたが、車間距離をあけると横からどんどん入ってくるし後ろの目は気になるしで難しい。1人でも多くの人がこの本を読んで、皆で実践するしかない。皆さん、読んで下さい。 J.L.ボルヘス『続審問』(岩波文庫) 一読しただけでは難解過ぎてチンプンカンプンなのに、理解できないといって放り出したくならずに、このもどかしさ、分からなさの中にぐんぐん引き込まれた。一つのエッセイを何度も読み返したり、少し先に進んでからまた前に戻って読み直したり。のぞき込めば目のくらむような深遠な虚構の世界は、ウソでしょう?と片付けてしまうには魅力的すぎる。この世の全ての物語はたった1人の作者によって書かれている、なんてことを、一瞬信じてみたくなる。 中でも「ウォールト・ホイットマン覚書」は10回くらい読み返し、ついにはホイットマンの詩集を注文してしまった。けれど考えてみれば、ボルヘスの描く「自分自身を虚構の経歴で演出する」ホイットマン像こそ、ボルヘスのフィクションだったのかもしれない。うーん。 『対訳 ホイットマン詩集』(アメリカ詩人選) (岩波文庫) ホイットマン『草の葉 』(上) (岩波文庫) 上記のようなわけで、ホイットマンの対訳つきと、詩集「草の葉」上・中が一気に我が家に届く。(下巻だけまだ来ない。)ワイルドな「アメリカ精神」が朗々と歌い上げられる、というイメージに私が馴染めないのは、ボルヘスを通してホイットマンを見ているからに違いない。ほんの一瞬の小さな点のように存在する自我を、時間と空間の無限の広がりの中に結びあわせようとする強烈な欲求に目眩がする。 今いのちに満ち溢れて、引き締まった現身の姿でいる、 ハダカデバネズミ―女王・兵隊・ふとん係 (岩波科学ライブラリー) 漢字で書くと「裸出歯鼠」。こんなやつです。 出っ歯で毛がないという強烈な外見も、じーっと見てると愛らしくなってくるから不思議。 外見のユニークさもさることながら、哺乳類としては初めて発見された、ハチやアリのような「社会性生物」であるという生態も面白い。ただ一匹の女王デバを中心に、もっぱら女王の生殖のお相手をつとめるだけの尻に敷かれた王デバ数匹と、数十匹の働きデバ、兵隊デバとがコロニーを作って地下の洞穴に暮らしている。世の中、まだまだ面白いことがあるもんだな。 #
by jukali_k2
| 2010-02-06 12:24
| 本
2010年 01月 16日
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by jukali_k2
| 2010-01-16 01:47
| 食べる飲む
2010年 01月 07日
ためしてガッテンの九州地方局版「ためしたバッテン」。
効果ありと言われる俗説の信憑性を実際に検証し、 「ばってん効果なかもんねー」としめくくる。 #
by jukali_k2
| 2010-01-07 20:09
| 家族
2010年 01月 07日
ボルヘスの魅力の源泉をドン・キホーテに発見、と先月は仰々しく書いてしまったけど、なにか難しい概念的なことを言ってるんじゃなくて、実はもっと単純なことだ。ずっと前に読んで忘れてたドン・キホーテの筋を思い出した、という意味に近くて、要は『ドン・キホーテ』の作中人物が同時に『ドン・キホーテ』の読者でもあるということ。こう言うとまた難しく聞こえるけど、『ドン・キホーテ』は正篇と続篇があり、続篇では主人公たちが正篇を読んだことになっていて、書かれてることについてあれこれ話したりするのだ。
これをボルヘスは「作品の逆流構造」と呼び、同じような構造をハムレットの劇中劇にも見いだす。そして「物語の作中人物たちが読者や観客になることができるのなら、彼らの観客であり読者であるわれわれが虚構の存在であることもあり得ないことではない」ため、「われわれを不安にする」と言う。 博覧強記のボルヘスに厳かな口調で説かれると確かにそうだという気がするし、実際ボルヘス自身がこういった逆流構造を迷宮のように複雑化し、虚構と現実の境目をアヤフヤにして、読み手を不安にさせるのが大得意だ。でも私にとって、ドン・キホーテのそれは「不安」というよりむしろ「驚き」をもたらす、びっくり箱のような愉快な仕掛けでもあった。 こういう仕掛けは児童文学にもある。エンデの『はてしない物語』でも鍵となるのは逆流構造で、物語の主人公が作中物語に夢中になるうちに作中物語の世界に飛び込んでしまう。その場面のドキドキを体験する読者は、今度は自分がエンデの世界に飛び込んでしまいそうな興奮を味わう。 今、息子が寝る前に読んであげている佐藤さとるのコロボックルシリーズの本もそうだ。昨日は第5巻に入って2日目だったんだけど、この5巻の主人公である若い図書館員の女性は、本棚でコロボックルシリーズの1〜4巻までを見つけ、一気に読んでしまう。そして「コロボックル(小人のこと)なんているわけないのに、本当みたいに書いてある」という感想をもつ。息子の反応が面白く、「本なんだから本当じゃないよ!正子はバカだなあ」と1〜4巻を「本当じゃない」としながらも、それを自分と同じように読んでいる5巻主人公の正子は実在の人物だと思っている。 この前、息子と一緒にイトーヨーカドーの仮面ライダーダブルショーを見に行ったが、ライダーが「僕たちのテレビ見てるかい?シンケンジャーよりカッコいいだろ?」と観客に語りかけると、子供達は熱狂し爆笑する。テレビの登場人物が観客の子供達と同じ目線で番組を客観化し、笑いをとっているのだ。主観と客観が交差し、現実と虚構が入り交じるという「仕掛け」は、不安をともないつつも、子供ものめりこんでしまうような不思議な魅力があるっていうことなんだろう。 #
by jukali_k2
| 2010-01-07 00:58
| 本
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