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2006年 11月 28日
近頃の若い人たちが結婚の条件をいろいろ並べて、少しでも有利な方へ傾こうとする心理が私にはさっぱり分からない。(中略)・・・何もないところから二人で出発しようというような向こう見ずな態度は流行遅れになってしまった。でも私たちの若い日には、その向こう見ずの一寸先は闇か光かという不安こそが未来そのものだったのだ。 この部分だけでも、私はこの本に惹きつけられた。筑豊の炭坑町に住みつき、一生を筑豊に捧げた記録文学者である上野英信の妻、上野晴子の『キジバトの記』の一節。彼女の激烈な人生と比べるのはおこがましいけれど、私自身もまた、結婚当初は流行遅れな向こう見ずであったと、よく思い返す。けれど、この「闇か光か」という当初の不安は、結局は晴子にとって、結婚生活の最初から最後までをつらぬく通奏低音となってしまった。 上野英信の著作を、私は『地の底の笑い話』一冊しか読んでいない。社会の酷い矛盾を鋭利な刃物で突くようなその視点と、「地の底」である炭坑の人々とどこまでも共に生きようとする強い意志とが、それと矛盾しない不思議に暖かいユーモアに包まれて語られる印象的な本だった。 晴子は、英信の人間としての真っすぐな思想、生き様を心から尊敬していた。けれど夫としての英信は呆れるほどメチャクチャな暴君であったらしい。夫に対する敵意とも憎悪とも言える感情と、それにも勝る深い愛情との間で揺れ動く心は、常に闇と光を行きつ戻りつしていたことと思う。 で、どれだけメチャクチャか。夫婦と一人息子の住む家は筑豊文庫と呼ばれ、文学者英信を訪ねる客が途切れることがなかった。その客人に対する、英信の歓待ぶりが凄まじい。知人も初顔も、訪れる全ての人を家に招き、まずは酒、とにかく酒、どんどん酒。酔いつぶれ夜を明かした客人と、迎える朝も酒を酌み交わす。その果てしない宴会の、裏方の苦労を一手に引き受けさせられたのが晴子だった。 ・・・とここまで読んで、私が晴子に寄せる他人事ならぬ関心が、分かる人には分かったことと思う。もちろん、暖かい家庭など望むべくもなく翻弄され続けた晴子と、呑気な結婚生活を送る私との間に、徹底的な相違点があることは言うまでもないし、いくらなんでも夫は英信ほどに無茶苦茶ではない。 英信は妻に切れ目なく酒を要求し、何十人もの腹を満たすための食事をつくらせた。そうして使い放題使っておいて、やれ態度が生意気だ、やれ心がこもっていないと、平気で客人の前で妻を罵倒した。それが客を喜ばす作法と勘違いするほど、英信は救いようのない無茶苦茶な、我がままな夫だったのだ。 客のいない時もまた我がままだった。昨日は「俺は百姓の生まれだから、野菜を出せ」と言い、今日は「俺は海辺の育ちだから、魚を出せ」と言い、その翌日には「俺は満州で暮らしたんだから肉を喰わせろ」と言う。しかも、言い出した直後に食卓に並ばないと怒り出す。売れる本など書かない英信の収入では、家庭は常に極度の貧困にあり、もちろん台所は火の車。夫の要求を満たすのは曲芸に近かったはずだ。 また、家で執筆作業に入ると家族の話す声も歩く音も気に入らず、「静かにしろ」と神経質に怒鳴る。電話の音まで家族のせいにするので、電話は常に布団にくるまれていたそうだ。そのくせ自分の見たいテレビ番組が始まると、仕事を中断して堂々と見たという。 南米に渡っていった元坑夫の足跡を追う旅に出る時は「数年帰らない、戻らなければ死んだと思え」と、幼い息子と妻を残して、家中の金を全てかき集めて持っていこうとする。さすがに晴子が、わずかばかりを置いていかせたらしいが、迷惑なことこの上ない男である。 少なくとも私の夫は、妻に対して暴君であったことはなく、客の前でも誰の前でも妻を叱り飛ばすようなことはしないし、全ての金を握りしめて何処かへ行ってしまうこともない。そんなことがあったら、私はとっくに結婚を解消していることだろう。 先日は、またもや夫がゴロゴロと若い人たちを大勢つれて来て、朝まで一緒に飲んだ。けれど夫の提案で、一人一品持ちよりの会だったから、私が裏方にまわって台所に引きこもる必要はない。それどころか堂々とソファーにふんぞり返って、飲んで騒いで、朝方にはそのまま眠りこけてしまった。客である若い人たちが、最後にゴミの分別までの後片付けをして帰っていった。楽しい一日だった。 晴子が暴君のもとを去らなかったのは、誰に強制されたのでもなく、晴子自らが夫との人生を選びとったからに他ならない。それとともに、苦しい裏方作業を押し付けられても、夫と客人との交わりの中に喜びの光を見出していたことも、一つの理由なのかもしれないと、ふと思う。私はたぶん、その「光」の部分を晴子と共有していて、夫も含めた多くの人たちとの活気ある輪の中に、新鮮な驚きや喜びを感じている。時に酒が過ぎて、度を超すようなことがあったとしても。けれど彼女の抱えた「闇」は、私の想像を超えるものだったろう。それでも夫亡き後、「生まれ変わってもまた英信さんの妻になり、今度はもっと上手くやってみせる」と言ったという彼女の性根の据わったたくましさに、私はやっぱり強く心を惹かれている。他の追随を許さぬ孤高の記録文学者であった上野英信の、その崇高で破綻した精神にも。
by jukali_k2
| 2006-11-28 23:57
| 本
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